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9度目の3月11日にあたって思うこと

東日本大震災から9年が経ちましたので、少し振り返ってみます。

あの日から数か月は、農林水産省で働いていた私にとって、人生観が変わる忘れられない日々が続きました。

まずは、東北の太平洋側にある動物検疫所、植物防疫所につとめる職員のみなさんの安否確認からはじまり、原子力発電所事故のあとは、空から降ってくる放射性セシウムの降り積もった農林水産物を、どのように国民の口に入れないかという、日本にとっては、はじめての難題に向き合うことになりました。

そして同時に、農村派遣研修以来、数年間にわたりお世話になっていた福島に暮らす生産者のみなさんに、国ではたらく自分は何ができるのだろうかということを考える日々でもありました。

緊急的な対応が終わった五月の土日に休みをいただき、須賀川市に田植えの手伝いに行きました。

東京に比べれば空間線量の少し高く、雨の中での田植えを一緒に手伝う中で、福島に暮らしてみなければわからない、今後への不安や無力感、開き直りなど、さまざまな感情がある中で、地域を捨てるわけにいかない生産者の思いを心に刻んだことを思い出します。

自分が、相手の立場にいたらどう感じ、どう行動するだろうか。

農林水産省を退職して、議員になったあとにも様々な出会いや、考えさせられる機会をたくさんいただきました。

福島から山形に避難している皆さんのお話、東北電力の女川原子力発電所で、これでもかというくらい安全対策にあたる方のお話、南相馬で復興にあたっている方のお話、、、、すべての方の現場に触れると、答えは簡単にでないことを思い知らされます。

そのうえで、できる限り、科学的根拠をもって判断し、そこで暮らす人の感情を想像しながら政策は実行に移されるべきであることを、政治家として肝に銘じて生きていきたいと思います。

そしていつの日か、地元山形を含む東北地方をはじめ、政策面で、それぞれの地域が独自性と独立した意識をもって暮らしていける多様な日本になるように議員活動をしていきたいです。

昨日の農林水産委員会にて配られた、東日本大震災被災3県のお花です。
少しでも花農家さんや花屋さんの力になろうという事で、コサージュを付けて出席しました。

 

2020.03.12.Thu